キュビズム、あるいは愛について

キュビズム、あるいは愛について
Photo by Johnell Pannell / Unsplash

2年ほど前だろうか、キュビズムの展示があるというので妻と美術館を訪ねた。自分は美術はからきしなので、作品の技術的な魅力や特異さについて語ることはできないが、それでもいくつか心を動かされたものがあった。

なかでも印象に残ったのは、かの有名な『泣く女』だ。このモデルはドラ・マールという芸術家の女性で、ピカソの作風がキュビズムに変化するのと時を同じくして、彼女との関係性も育まれたと言われている。

ピカソ 泣く女
『泣く女』https://artmuseum.jpn.org/mu_nakuonna.htmlより引用

キュビズムに分類される作品は、どう見たって写実的なそれまでの絵画とは一線を画すものだ。有体に言えば、そこに描かれている人物は、一般人の美的感覚からすると「美しい」とは言い難い。

では、なぜピカソは自身にとって最も大切な女性を「美しくなく」描いたのだろうか。僕は、これこそが愛なのだと思っている。ここからは、門外漢の素人の戯言だという前提で読んでほしい。

自分にとって最も大切な人を描くとき、画家としてどのような絵を描きたいと思うだろうか?おそらく、自分が彼女あるいは彼に対して知っている全てを表現したいと思うのではないだろうか。顔だけをとってみても、単に正面から捉えた表情だけでなく、凛とした横顔、膝枕をしているときに感じる頭の形、逆に自分が膝枕をされているときに見上げる角度からの顔……。その全てを表現したくはならないだろうか?

自分にとって最も大切な人をあらゆる角度から表現したい。そして、それを平面の1枚のキャンバスに載せたい。そう思ったときにキュビズムの技法が生まれたのではないだろうか。

この解釈が正しいかどうかは僕にとってはどうでも良い。ただ、自分の持てる全てを使って最愛の人への愛情を示したピカソの創意工夫と熱意に感服するあまりだ。僕も、妻への愛情をもっと多面的に表現できるようになりたい。